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毒親から解放される方法。20歳のときに親から決別して幸せを手に入れた話

まるで法律で定められているかのように「親に感謝しなさい。」と、誰もが同じようにこの言葉を口にする。

しかし、私はこの言葉が大嫌いだ。誰もが尊敬できる親に育てられたわけではないと思っている。

なぜなら私は親を憎み恨んでいるからだ。

私の親はいわゆる毒親であり、常に私の人生をコントロールしようとする人間だった。

そのせいか、今でも自己主張がなかなか出来なかったり、親と同じ世代の人たちと上手く会話が出来なかったりする。

子どもの頃からそんな親から早く離れて生きていきたいと考えて暮らしており、20の頃にようやく念願の一人暮らしを始めた。

親の価値観に縛られず、自分のやりたいことをやりたいように出来る人生を手に入れ、少しずつ幸せを手に入れ始めている。親元で暮らしていた時のことを考えると最高の人生だ。

この記事では、私と同じように毒親に苦しめられ、人生を十分に楽しめていない方の助けになれるように、毒親と物理的にも精神的にも決別する方法を経験談を交えてご紹介する。

 

 

毒親とは?毒親の特徴と定義

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毒親という言葉は、スーザン・フォワード氏の著書「毒になる親」(原題「 toxic parents 」の中で使われた。

・子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親。

・子どもに対するネガティブな行動パターンが執拗に継続する親。

のことを指し、具体的に7つのパターンに分類することができる。

①神様のような親

②義務を果たさない親

③コントロールばかりする親

④アルコール中毒の親

⑤残酷な言葉で傷つける親

⑥暴力を振るう親

⑦性的な行為をする親

もし、あなたの親にこのような特徴が1つでも当てはまるようであれば、あなたの親は毒親と言えるだろう。

子どもの生活にとって、家庭というものが占める割合は大きくなかなかそこから逃避できない場所でもある。

そのため、毒親に育てられたことによって植え付けられた価値観や考え方は、子どもの人生を呪いのようにじわじわと蝕んでいってしまう。

そのため、自分の親が自分の人生に悪影響を与えていると感じたら、一刻も早くそこから抜け出して、人生を立て直すことをしなければならない。

 

私の親の場合   

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私の親も典型的な毒親だった。母親は私が小さい頃に離婚しており、私が中学生になるまで男を5人ほどの男と付き合い、自宅を頻繁に出入りしていた。

どの男も最悪で、一緒に遊んでくれるのは良いのだが、何か嫌なことがあるとすぐに怒って暴言を吐いたり、遊びを中断してどっかに行ってしまっていた。

また、母親は朝起きるのが苦手だったためか、小学生の私に朝ごはんの支度をさせていた。それがエスカレートしていき、皿洗いや風呂掃除など私の手伝い事はどんどん増えていった。

そして、私が12歳の時に再婚した義父が母親以上に私の人生に悪影響を及ぼす人間だった。

義父は外面を気にする人間だったため、マナーに厳しく少しでもマナー違反をすると、ひどく怒鳴られた。

タクシーの助手席に座らなかったがために頭を叩くなど、当時中学生だった私に求めるにはあまりにも理不尽なルールも容赦なく押し付けた。

食事の際には、箸の持ち方や食べる皿の順番が少しでも気に入らなければ、食事を中断し怒鳴り散らしていたため、いつも食事中は憂鬱な気分だった。

両親とも、「親の言うことは絶対」という考えが根付いており、もし反抗したならば、家から追い出されたり、食事を与えられなかったりなどのペナルティが与えられた。

そんな罰は2ヶ月に1回ほど与えられ、1回につき短くても3日、長いと1ヶ月ほど続いた。食事を抜かれているがために、両親が寝静まる深夜まで起きて、こっそりと食料を確保したり、学校で親の承諾が必要な書類を偽造したりなど様々な対処を強いられた。

また、度が過ぎたプライバシーの詮索も行われ、私が留守の時に部屋をひっくり返したり、携帯メールの履歴をすべて確認して、私がいつ誰とどんなことをしているのかを全て把握しなければ気が済まないようだった。

中学生、高校生の頃は、私の友達付き合いや趣味に対する干渉もひどく否定されることが多かったため、自分のやりたいことや考えは親に隠すようになっていた。

高校に上がると、良い大学へ行くことが正しいという価値観を植え付けられ、自分の得意分野や興味とは無関係に無理やり理系コースに進級させられた。

勉強しろ、大学へ行けと言うわりにはそのための援助は一切なく、塾はもちろん大学の入学費や四年間の学費はすべてアルバイトと奨学金でまかなうことになった。しかも、奨学金の保証人になることを拒否されたため、手数料を払って機関に保証をお願いした。

高校生になると、親の神様気取りはエスカレートし、何かあるたびに「家から出て行け。」「高校を中退させる。」などの経済的な制裁を与えることで私の言動をコントロールしようとしたり、暴力で権威を示そうとした。食事を与えられなかったために、大学の入学費用のために貯めたバイト代がすべて食費に消えてしまったこともある。

やや長文にはなってしまったが、私の両親はこのように典型的な毒親だった。

 

毒親の影響

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このように歪んだ価値観を持つ毒親に育てられたことによって、大人になってからその悪影響に悩まされる人が多い。

・自分の欲求や感情、夢を押し殺してしまう。

・誰かの役に立たないと見捨てられてしまうのではないかと思い込んでしまう。

・両親と似た性質(背丈、性格、年齢、声)を持つ人に恐怖心を抱いてしまう。

・他人と親密な関係になるのを恐れて、友人、恋人、上司などと信頼関係が築けない。

・自己肯定感や自信を喪失により、自分は何も出来ない人間だと思い込んでしまう。

・両親の価値観に縛られることで、「こうでないといけない。」という思い込みが強くなってしまう。

・嫌なことがあるとアルコールに逃げてしまう。

などが毒親に育てられた人に表れる典型的な特徴である。

実際、私も20代前半までは、気の許せる友人が出来なかったり、自分の夢を周りに話すことを控えてしまうなど、様々な悪影響を感じていた。

 

毒親と決別することで、私たちは救われる。

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しかし、毒親に育てられたことによる呪いが一生続くわけではないので、安心してほしい。

自分が毒親に育てられていたことを自覚し、勇気を出して決別をすることで、時間はかかるかもしれないが、私たちは呪いから解放されることができる。

私は20歳の誕生日に家を出て、アパートでの一人暮らしを始めたことにより、親の言動に左右されない新しい人生のスタートを切ることができた。

親からの経済的な援助がなくなったことにより、生活の費用を工面しなければならないため、アルバイトを掛け持ちしながらの学生生活で苦労も多かったが、それを補って余る恩恵を受けた。

自分の行動をコントロールされることなく、考えを否定されることもないため、自分のやりたいことが自由にできる。

それまでギターなどの新しい趣味や恋人や友人との付き合いを隠したり、諦めたりしなければならなかったことを考えると最高の生活であった。

否定されることを恐れて、自分の感情を抑えたり、抑えきれずに感情を爆発させることでしか自分を表現出来なかったが、少しずつ自分の考えを的確に表現出来るように成長もした。

そのおかげで、年齢や性別に関わらず尊敬し合える友人や先輩との繋がりが増え始め、それまで築いてきた友人との関係もさらに良好になった。

もちろん、親元を離れてからといって、すぐに簡単に考え方や性格が改善に向かったわけではない。

それまで自分にこびりついた負の行動・思考パターンを変えるのはとても勇気のいることであり、かなりの時間と労力が必要だったのだ。

そして、まだまだ今でも自己主張は人より下手であるし、親世代とのコミュニケーションが怖いなどの後遺症は残っている。

それでも、毒親から離れたことによって自分の価値観や行動を変えることが出来た成功体験は、今の自分をもっと成長させられるという感情を芽生えさせ、今後の人生の大きな希望である。

 

毒親からの呪いから解放されるための具体的方法

私の場合、両親から離れることによって、人生を良い方向に進めることが出来た。

しかし、ただ親元から離れただけで毒親の呪いから解放されるわけではない。

毒親から育てられたことによる悪影響を払拭するためには、次のような手順が必要である。

①毒親から育てられていることを自覚する。

②勇気を持って毒親から離れる。

③自分の弱さを認め、それは毒親から育てられた影響であることを理解する。

④今は親の影響が及ばないことを意識する。

⑤今まで出来なかったことに挑戦し、自分の思考・行動パターンを改善していく。

 

おわりに

親が子どもを選べないのと同様に、子どもも親を選ぶことは出来ない。毒親に育てられ、負の思考・行動パターンが染み付いてしまったのは、なにも私たちのせいではないのだ。

親と離れて生きることで、新しい人生を始めることはいつでも可能なのである。そして、毒親から離れた後は、親を許す必要もないし、わざわざ対立をする必要もない。

重要なのは自分の人生は自分でコントロールして幸せに向かっていく覚悟と勇気なのだ。